シコ助は休日によく行く街があって、ここ最近うちの近くからそこへの直通のバスがあることを発見し、久々にバスに乗る機会がありました。
幸いにもそのバスの始発駅から乗るので好きな座席を確保できます。試しに色々な座席に座った結果、1番後ろの席が気に入ってしまったという記事です。
バスの席の高さ
バスの1番後ろの席が好きです。こんなところに着目できたのも、ここ最近そんな些細な『好き』を大事にしているからだと思ってます。
バスの最後尾は『揺れが強いから車酔いがひどい人は最後尾に乗っちゃダメ』くらいのイメージしかなかったのですがここ最近バスを利用してからイメージが変わりました。
まずバスは座席に座った時の高さが凄く良いのです。この感覚は古市さんの本でも言われてました。
気鋭の社会学者が、地上2.3メートルの
“ちょっとだけ上から目線”で綴る、東京=日本論。僕は数々の都バスに乗ることで、東京を「ちょっとだけ上から目線」で堪能してきた。
歩行者よりも、電車の座席よりも目線が高く、世界を観察できるような高さなのです。
バスに乗る人は自分のことを棚に置いて、上から目線で見渡すことが出来るのです。その時点で乗客は特権階級なわけなのですが、さらにバスの最後尾に座った人はその特権階級の人々を見渡せる最高権力者のようなものなのです。
誰からも観察されない
バスの1番後ろの席好きかも🙂
— ao (@aoc_rr) 2021年3月15日
というのは言い過ぎかもしれませんが、バスの最後尾は事実として誰からも観察されないスペースなのです。
この状況って公共の場では珍しいことなんだと思っています。
電車の座席はお互いを監視するように向き合っているし、タクシーはバックミラーで監視されてる感じがします。
もちろんバスの運転手さんもバックミラーを気にしていると思いますが、最後尾までとなると手の届かない範囲というかほったらかしてくれて自由にしてくれている気がするのです。
学生の時から座席の1番後ろが好きでした。席が自由に取れる大学時代は座席確保のために急いだ覚えがあります。やっぱり監視されないのは心地が良かったのです。
ただ必ず教師がこちらを見ていたので、全く監視されてないってわけではないのですが、そういう意味でもバスの1番後ろの席って公共の場ではレアなスペースなんだと思っています。
バスの1番後ろの席に座るのが好きだ
バスの1番後ろの座席はそんなレアなスペースなのですが、監視されなかったとして特別になにかやろうという訳でもないのです。
単に公共の場において監視されないスペースがあることに居心地の良さを感じているのです。
その座席にすわる瞬間も直感的にワクワクしているのを自分でも感じるし、乗り降りする乗客のなかでおじさんが最後尾の席に座わる前の表情や座った時の表情をみていると、人は直感的にこんなスペースを欲しがっているんだろうなと感じています。
以上、バスの最後尾に座ることが好きだという記事です。
そんな感じでフツウの毎日を楽しむルールを書いた本を3年前に出版してますのでぜひ。
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